23,明日があるさ、夢がある~グリーンラインの経済的価値(1)~
前回までに「市民の憩いの場所としてのグリーンライン」「観光の視点から見たグリーンライン」について触れてきた。今回からは「グリーンラインの経済的価値」に付いて触れてみようと思う。その前にもう一度「グリーンラインが基本的に持っている価値、時代や経済状況に左右されない価値はどのようなものがあるか?」について考えてみよう。
* 福山市街中心部から30分以内の距離に広がる広大な林野。
水呑側入り口付近なら10分、ファミリーパーク付近で15分、鞆まで行っても30分以内の場所に、豊かな林野がたっぷりある。
* 瀬戸内海随一のすばらしい景観。
景観は観光財産としても高い価値を持っている。しかしそれだけではない。このすばらしい環境は観光・健康・福祉といった分野にとどまらず、創造性を要求される各種企業にとっても貴重な価値を持つ。企画・研究・開発・設計等の分野のオフィスをこの様な場所に作れば、ゴミゴミし、騒音に取り囲まれた市街地のオフィスよりも遙かに優れた成果を期待できるのではないだろうか?
* 福山市街中心部と鞆・沼隈・内海を繋ぐアクセスライン。
現在福山と鞆を結ぶ道路は海岸沿いの県道が中心である。しかし此処は朝夕の通勤時は恒常的に渋滞をする。また観光シーズンは多くの車が押し寄せる。このバイパスとしてグリーンラインはもっと注目されて良いと思う。また、万一の事故や災害時にはグリーンラインは唯一のライフラインになる。
「では何故これらの価値を有するグリーンラインが、充分な活用が為されないまま荒廃してしまったのか?」次にそのことを考えてみよう。
グリーンラインが脚光を浴びたのは開通から本当に短い期間だけ、後は長く荒廃の一途をたどってきた。その原因は何か?それを考え、検証することは同じ愚を犯さないためにも重要である。教訓は生かされなければならない。
* 「観光だけ」の視点で作られたグリーンライン。
グリーンラインは当初観光道路として作られた。だからカーブが多い。走り屋の若者には魅力でも、一般道路としてはいささか使い勝手が悪い。有料道路から無料化された後、カーブだらけの道路にでこぼこの路面とガードレール、毎日のように道路に倒れる樹木、暴走族・不法投棄・捨て犬・・・この様なデメリットだけが残り、「忘れられた」道路になっていった。
* 観光だけの視点で作られた各種施設。
沿線の施設についても、当然「観光だけ」の視点で作られた。開通当初の主な施設「ファミリーパーク」「後山公園」「ホテル」「喫茶店」等はそれでも開通当初はずいぶんお金の掛かった立派な施設であった。しかしこれらの施設が総延長14km余りの沿線全体に占める割合はあまりに小さかったように思う。個々の施設の持つ集客力を合わせてもグリーンラインの価値を維持するにはあまりに小さかったと言わざるを得ない。
* グリーンラインには金を払って通る価値があったか?
グリーンラインは開通当初有料であった。しかし本当に金を払って通る価値があったか?確かに開通当初はあったと思う。「珍しい」と言う価値である。しかし当然であるが珍しさは最初の数回である。「珍しい」だけでは人は何回も訪れたりはしない。繰り返し訪れたくなる魅力が有るかどうかが鍵である。しかし、ただ単に「景観が美しい」だけでは弱い。もっと強く人を引きつける何かが必要である。施設にもサービスにもそれが欠けていたのでは無かろうか?
* 行政と市民と企業、バラバラの建設と挫折。
行政は道路や施設は作るが維持や管理はどちらかというと不得意である。まして寂れる一方のグリーンラインに無駄な(?)税金を投入することは出来ない。ゴミだらけ、草ぼうぼうの道路や公園。落書きだらけ、汚れ放題のトイレや展望台。そして見る見る景観を遮って伸びていった樹木・・・。民間施設も惨憺たる状態であった。バブル崩壊の影響ももちろんだが、行政との連携や統一的なビジョンもないまま、バラバラに作られ、バラバラに運営され、そしてバラバラになって崩壊していった。どんなに我が施設内をきれいにしようとも、一歩外に出れば荒廃しきった道路や公園では、誰が楽しめるというのか?グリーンラインに進出した企業はそこに気づかなかったのだろうか?たとえ気づいていたとしても結果としてグリーンラインの荒廃を阻止できなかったのは結果で明らかである。
ではそのようにして荒廃していったグリーンラインに私はどの様な経済的価値があるというのか?それを次回から語ってみたいと思う。