6,「グリーンラインの犬たちより」
2000年11月から愛する会の月例会がスタートした。最初の月例会は11月12日。それから1月と8月を除く毎月1回の月例会が現在まで続いている。最初の頃の月例会はほとんどがゴミ拾いに費やされた。それもなかなか道路にまでは手が回らず、県立後山公園とその周辺の駐車場くらいが精一杯であった。何しろ拾っても拾っても綺麗なのはせいぜい1週間か2週間、翌月の月例会には完全に元の惨状に戻ってしまっていた。
そのようなゴミとの格闘については、おって詳しく紹介したいと思う。ゴミと並んで県立後山公園で問題なのは「野犬」と「カラス」だった。朝9時頃に公園に行くと駐車場は「白黒のまだら模様」だった。おびただしい数のコンビニやスーパーの買い物袋やトレイが駐車場を埋め尽くしている。そしてその袋やトレイに群がる何十羽とも知れぬカラス・・・。昔、ヒチコックの「鳥」と言う映画を見たが、まさにあの映画を彷彿とさせる光景である。とても車から外に出る勇気は出ない。クラクションを鳴らして追い払っても、すぐに舞い降りてくる。
やがてカラスたちがどこかへ飛び去ると、今度は犬たちがやってくる。最盛期には公園には10頭以上の犬がいた。大半は野犬で、人間が近づくと警戒して逃げてゆく。彼等は常に人間と一定の距離を置いていて、それ以上は近づこうとしない。人間に近づいて来るのは捨てられ犬である。しかし、捨てられ犬は今も当時もほとんどいない。捨てられる犬がいないのではない。当時は毎月のように犬たちが捨てられていた。しかし、野犬と違って捨てられた犬は長くは生きられないのだ。信じていた飼い主、愛する主人に捨てられた犬たちはまずそのショックから精神的に変調を来す。何とか主人の元に返ろうと歩き回る犬もいる。寝込んでしまう犬もいる。餌だって決して豊富ではない。
余談になるがグリーンラインでも野犬たちに餌をあげる人は決して少なくない。その人達に言わせれば「かわいそうな犬たちが少しでも生き延びてくれるように。」「かわいそうな犬たちを見捨てられないから。」と言うことなのだろうが、そのような「心ない行為」が事態を一層深刻なものにしていることにその人達は気付いていない。何故このような行為を私は「心ない」というのか?
まず、野犬に餌をあげれば、当然に野犬は繁殖をする。その人達は「かわいそうな犬たちに餌をあげる」ことで自分の良心を満足させるかも知れないが、それはかわいそうな境遇の犬を増やす行為なのだと言うことには気付いていない。そして、全ての野犬たちが生きて行けるだけの餌をその人達が用意できるわけではない。餌が不足すれば当然餌の争奪が始まり、どう猛で凶暴な野犬だけが生き残る。ぬくぬくと人間に養われてきた捨てられ犬などまず餌の獲得競争で野犬に勝てない。餓死をする。餓死しないものは病気になる。弱ればカラスや狸や野犬の餌食になる。車に轢かれるものもいる。
犬を捨てる人たちはこんな現実をほとんど知らない。「保健所に連れて行って殺すよりは、ここに捨ててやれば何とか生きて行くだろう。」等という無責任で何の根拠もない自己弁護を聞くこともあるがとんでもない間違いである。
私たちが野犬の保護に乗り出したのは、決して人間側の都合だけでは無かったのだ。確かに野犬がうろつく公園では子供達だけではなく、誰もが落ち着いて楽しむことは出来ない。病気などを媒介する危険もあるかも知れない。しかしそれだけではなく、私たちは捨てられた犬たちの悲惨な最期を知ってしまったのだ。捨てられた犬たちが次々と無惨な死を迎えてゆく、それを見ていると「こんな無惨な死に方をさせるくらいなら、せめても苦しまずに死なせてやった方が・・・」と言う考えにもなってしまうのだ。無論それも人間の勝手な言い分ではあるのだが・・・。
しかし、このような犬たちの悲惨な状況や訪れる人々にとっての危険な状況を放置して置くわけには行かない。私たちは福山市に対し「野犬の捕獲」を要望する要望書を提出した。そしてそれがマスコミで報道されて間もなく、その手紙は私に届いた・・・。
2000年12月15日、仕事から帰った私の元に一通の封筒が届いていた。封筒の裏には可愛い犬たちの写真が・・・そして差出人の名前は「グリーンラインの犬達より」・・・。