特定非営利活動法人 グリーンラインを愛する会

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20,明日があるさ、夢がある~その2~

20,明日があるさ、夢がある~その2~

(グリーンラインを桜の名所にしよう)

「官民協働」と口で言うのはたやすいが、実際にお互いが良い関係を維持しながら、実効有る事業を継続してゆくことはなかなか難しい。しかし我々はその困難な協働を今まで継続し続けることが出来た。それはまず我々の基本姿勢にあったことは間違いないと思う。確かに地域の問題への取り組みに対する行政の無理解や、無関心、無気力にはあきれたり憤りを感じることは多々ある。それを全て行政の非として責めるだけでは何も変わることはないし、彼等の協力を得ることも出来ないと思う。我々はそのような行政のあり方をも含めて「我々に責任がある」と考えて取り組んできた。行政に理解を求める努力、行政に関心を持って貰うための努力、行政にやる気を出して貰う努力をまず我々がやる。そして行政には行政の立場や事情があることを理解し、彼等が自ら「今できることは何か?」を考えてくれるようになったとき、事態が大きく変わることを、我々は体験を通して学んだ。それが我々の「グリーンライン方式」と呼ぶ官民協働が大きな成果を挙げた秘密であろうと思う。

それはさておき、今回は「グリーンライン植樹運動」に付いて少し触れてみたいと思う。我々が進めている「グリーンライン植樹運動」とは企業・団体・個人などから1口1万円の寄付をしていただき、その寄付金をグリーンラインの環境の整備のために使わせていただく。そのお礼として1口毎に1本の木を植えさせていただき、その木に植樹者のプレートを付けさせていただくというものである。現在は後山公園を中心に植樹され、結婚記念・誕生日・お孫さんの入学祝い等々、皆さんが思い思いのメッセージをプレートに寄せてくださっていて、それを眺めて通るのもけっこう楽しいものである。

これは2001年の秋から始まった運動である。趣旨は「みんなの力でグリーンラインをもう一度桜の名所としてよみがえらせよう」と言うことで始まった。

グリーンラインの開通当初は全線の路側及びファミリーパーク・後山公園合わせて数千本の桜が植えられていたという。しかし長い間手入れもされないままだったため、あるものは枯れ、あるものはツタに絡まれたり、他の樹木に覆われて見る影もない有様になり、現在では半分以下になってしまっている。これをもう一度植樹をし、手入れをしてよみがえらせようと言うのである。

実はこれには裏話もある。グリーンラインを愛する会の発足当初のある日、田辺県議・宮地市議と私とはグリーンラインをどの様な場所にしたら良いかなどの話をしていた。そのとき田辺県議が「この仕事は一生ものの仕事になりそうだね。何とか頑張って僕が死ぬまでには少しは今より良い場所にしたいね。出来たら僕の葬式の時には満開の桜に覆われたグリーンラインを通って行きたいものだね。」と言った。私は「田辺さんが毎年100本ずつ桜を寄付して植えてくれたらそうなりますよ。」と返す。「おいおい。貧乏議員に無理を言うねえ。」と田辺県議。側で聞いていた宮地市議が「それじゃあみんなに呼びかけて毎年100本の桜を植えましょうか。」と言った。その話がそもそものきっかけであった。

グリーンラインを愛する会の植える分は毎年100本にはとても及ばないが、協力団体の分を含めるとグリーンライン全線で500本以上の植樹をし、そのうち200本以上の桜を植えることが出来た。大口の植樹は福山葦陽ライオンズクラブが熊ヶ峰に、福山西ロータリークラブがファミリーパークと後山公園に植えて下さった分である。そろそろ来年からの植樹の場所の心配をしなければならないほどになっている。

「桜が満開の時に死んで、桜吹雪のグリーンラインを通って火葬場に行きたい。」等という贅沢は叶いそうもないが、この活動をとぎれることなく続けることが出来れば、美しいグリーンラインを通って火葬場に行くくらいのわがままは叶いそうでうれしい限りである。

 

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後山公園で成長を続ける善意の桜

 

taiyo2002
グリーンラインの見事な桜並木

大陽新聞連載~よみがえれグリーンライン~

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