12.「悔しさを肥やしに」
私の友人に「僕は賭け事も、ゲームも、スポーツも嫌い。」と言う人が居ました。
賭け事はともかくとして、何故スポーツが嫌いかというと「勝ち負けがあるから」だと言うんです。
勝てば嬉しいかも知れないが負けるときもあるだろう。負ければ悔しい。悔しい思いをするのは嫌だと言うんです。
まあ、気持ちは分からなくもありませんが、これが趣味の話だから良いのですが、仕事でも、悔しい思いをするのは嫌だという人が居ます。
新しいことに挑戦したり、実力以上の仕事をやろうとすれば、たいていは一度や二度は失敗をする。当然悔しい思いをする。それが嫌さに、失敗しそうな仕事には手を出さないようにしようとする・・・そう言う人が居ます。
でも、私は悔しいという思いをすることは、とても貴重な経験をすることだと考えています。
例えば私にとってパーソナリティーと言う仕事は全く始めての仕事です。だから練習の時から失敗ばかりでした。
当然相棒の平野さんからは指摘をされる。
されないまでも何度もやり直しをする。
自分の頭ではどうしなければと言うことは分かっていても、実際にはその通りにはとうてい出来ない。
何故出来ないのかと悔しい思いをする。
負けず嫌いの性格の私にとってこれはかなり悔しい。
平野さんに指摘されたからと言うのではなくて、他の人に出来ることが自分に出来ないと言うことが悔しい。
でも、その悔しさのお陰で「なにくそ」と言う気持ちにもなれる。
そうすれば練習も一層真剣になれる。
やがて曲がりなりにも、役目を果たせるようになってゆく・・・。
そこで自分の世界がひとつ拡がってゆくわけです。
悔しさは肥やしになります。悔しさを悔しさのまま抱えていてはダメですが、悔しさをバネに変え、悔しさを挑戦へのエネルギーにすれば、とても大きな成果を生み出すことが可能です。
悔しさの原因となるハードルが高ければ高いほど、悔しさも大きく強くなり、それを乗り越えるには大きな忍耐と苦労を強いられますが、そのことは取りも直さず、自分が大きく成長し、大きな力を身に付けることになるのです。
私もいつも自分の力のなさ、知識のなさ、技術のなさ、人間としての知性や教養や、そして何より器の小ささに悔しい思いをしています。
今までずっと私は様々なコンプレックスと戦ってきました。今もそうです。
でも、今が昔と違うのはそのコンプレックスがあったからこそ、曲がりなりにも私がここまでこれたこと、コンプレックスこそが私の前進のエネルギーそのものであることを知っていることです。
ですから今はコンプレックスによって自己嫌悪に陥ることも、意気消沈することもありません。
逆にこんなちっぽけな私でさえ、こんなに素晴らしいチャンスを与えられ、そのチャンスのいくつかをつかむことが出来た幸福感を感じています。
今私は本当に幸せです。大勢の人々と出会い、その人々に支えられ、やりがいのある仕事に恵まれ、沢山の夢や希望を持ち、裕福ではないけれどお金で心を貧しくしないで済む生活をさせていただいています。それら全ては私のコンプレックスが与えてくれたのです。
今、何かが原因で悔しい思いをしている方が、もしいらっしゃったら、私はその方にエールを送りたいと思います。
あなたが今抱えている悔しさこそが、あなたを大きく育ててくれる肥やしです。
その悔しさをどうぞ大切に、しかし悔しさに負けないで、乗り越えてくださいと声援を送ります。