特定非営利活動法人 グリーンラインを愛する会

5,野犬とカラスと暴走族

5,野犬とカラスと暴走族

田辺直史(現県会議員)と宮地徹三(現市会議員)そして私、たった三人の小さな出会いから「グリーンラインを愛する会」は誕生した。しかし、私はすぐに自分たちがやろうとしていることの途方もなさを思い知らされることになった。

現地活動をスタートする前に、私は15Km弱のグリーンライン全線と、その沿線にある「ファミリーパーク」「県立後山公園」等の現地調査を進めていった。その概要は2000年(平成12年)10月に「グリーンライン再整備のために」と題する10ページの報告書としてまとめ、市役所、県の地域事務所等関係する行政機関にも提出した。

まとめてしまえばわずか10ページではあるが、ほとんど一人で15km弱を歩き、調査し、写真を撮り、文章にまとめる作業は本当に大変な作業量だった。当時の北斗グループは2社で20数名の小さな所帯では有ったが、二つの会社の社長として、またエンジニアとして、社員の先頭に立って働きながらの作業である。いきおい調査は土曜日・日曜日が中心となる。そしてとりまとめの作業は毎日深夜まで続いた。それが何ヶ月も続いた。これだけでも充分に、自分がやろうとしていることの現実を思い知らされた。まだゴミの一つも拾わない先にである。

「調査」とは言ってもただ現地に行って眺めて、写真にとって帰れば済むという話ではない。たとえばある不法投棄の現場は崖の斜面である。ガードレールにロープを縛り、それに掴まりながら斜面を降りる。もの凄い臭いを我慢して降りる。時にはゴミや草に躓いたり滑ったりもする。ズボンはおろか、服もドロドロ。猫だか犬だかの死骸を踏んづけて悲鳴を上げそうになったこともあった。

野犬の調査は何十匹という犬に遠巻きにされ、何時吠えられるか、何時襲われるかという恐怖心と闘いながらである。

後山公園のゴミの現状を調査するために夜出掛けていったこともある。そこでは何台もの車が白煙を上げながらスピンターンを繰り返していた。その側にたむろする若者達。中には中学生にしか見えない女の子もいた。「このおっさんは何をしに来たのか?」そんな彼等の視線と殺気を感じながらそそくさとその場を後にした。その翌朝に彼等のたむろしていた場所にはカラスが数羽、群れて残飯を漁っていた。食べ散らかされた菓子やカップ麺やビールの空き缶、シンナーの臭いのするペットボル。そして雑誌や壊れた車の部品・・・カメラを向ける気にもなれなかった。

とにもかくにもこうして愛する会の現地活動はスタートした。最初は私の会社(当時は北斗電機工業有限会社と有限会社北斗電子テクニカ)の社員有志と、田辺・宮地の支持者や知人、そして私の身内など全部で20数名のスタートであった。

最初の月例会は11月12日(日)午前10時、後山公園に集まった参加者は約40名。これは私の予想を遙かに超えた人数だった。当日回収したゴミは約1トン車1台分以上。テレビ各局や新聞社の取材などもあり、随分華々しいスタートとなった。幼い子供からお年寄りまで、みんなで汗を流した。何とかそれらしく片づいたのは昼を随分回ってからだった。「やれば出来るもんだね。」とみんなで話した。気持ちよい風に吹かれた。

でも、その翌週の日曜日には公園は完全に元の惨状に戻っていた。

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2000年11月12日、最初の月例会の作業風景。(県立後山公園)

大陽新聞連載~よみがえれグリーンライン~

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